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若狭徹 (野球) : ウィキペディア日本語版
若狭徹 (野球)[わかさとおる]

若狭徹(わかさとおる、1963年3月19日中日ドラゴンズ通算記録集 〕-)は、石川県出身の元プロ野球選手。ポジションは三塁手星稜高校出身。中日ドラゴンズ1981年から1983年までの3年間在籍し、現在は同球団の職員。群馬県出身の考古学者の若狭徹(1962年生)とは別人物。
== プロ入りまで ==
1979年、高校2年の時に第61回全国高等学校野球選手権大会に出場。3回戦の箕島対星稜延長18回の延長14回裏に、サヨナラ負けのピンチを迎えた時、三塁を守っていた若狭は隠し球で三塁走者をアウトにし、窮地を脱した。この試合で若狭は14回まで打撃では5三振と良いところなく、ここらで一つやってやろうと狙っていたという〔山際淳司、1985年、25ページ。本人の談話による。〕。同僚によると「トリッキーなプレーを好む選手だった」という〔松下茂典、2006年、91ページ。同学年の川井捕手の談話による。〕。本人も「人と違ったことをするのが好きだ」と言い、隠し球については練習試合でよくやり成功失敗は相半ば、腋の下や股の間にボールを隠す練習をしていたと述べた〔松下茂典、2006年、92ページ。本人の談話による〕。
1979年の秋、宮崎県で開催された第34回国民体育大会の2回戦で、浪商高校と対戦した。この時、若狭は浪商のエース牛島和彦から木製バットでバックスクリーンに本塁打を放ち、この一撃が中日スカウトの目に止まることになった。そして翌年の暮れに、ドラフト外で中日に入団することになる。なお、牛島とは中日で同僚になる。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「若狭徹 (野球)」の詳細全文を読む



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